生まれて15日目の私
私は1987年2月3日に生まれましたお母さんがお兄ちゃんをおんぶして買い物に行った帰りにお腹が痛くなったそうです。そして病院に行ってすぐ生まれました。節分の日に生まれたので「福娘」だとみんなで喜んだそうです!3490グラムで身長50センチありました。私の名前は、お父さんが幸せがたくさん実るように実幸(まみ)とつけてくれました。自分の名前とても気に入っています!
生まれて1ヶ月目
横手のおじいちゃんにお雛様を買ってもらいました。
1歳の誕生日
生まれて6ヶ月目の頃からお母さんが足のうごきがおかしいのにきがつきました。とても心配であっちこっちの病院に行ったそうです。それから11ヶ月目のときから けいれんが でだしたので大分医科大学に入院したそうです。だから1歳の誕生日は病院でむかえたそうです。みんなとても心配したようです。先天性進行性筋ジストロフィー 福山型と診断されました。肺炎にすぐになり入院を時々していたようです!
1歳8ヶ月と9ヶ月
1歳と5ヶ月から別府整肢園に行き訓練をはじめたそうです。訓練のときいつも泣いていたそうです!お母さんはみているのがとても辛かったそうです。1歳8ヶ月の写真はお腹の筋力をつけるためと立てるようにするための装具をつけたものです。1日に20分を2回装具をつけてたそうです。
若宮保育園での生活
お母さんから聞いた話2歳2ヶ月から保育園に行きました。はじめは休む日が多くていつも先生におぶってもらってばかりだったそうです。私より1歳年下のクラスにいたそうです。お友達が靴をはかせてくれたり、まみ号に乗るときおさえててくれたりしたそうです。まみ号で遊ぶ友達はいなかったようです。それは先生が「まみちゃんの足だからね」とちゃんと教えてたからだそうです!お母さんは小さな子ども達の思いやりとか優しさがとてもうれしかったそうです。保育園は住んでる町の保育園には受け入れてもらえなかったので市内の若宮保育園にお願いしてみんなの中に入れてもらったそうです。歩けない子は私だけだったようです!でもいろんなことを経験させてもらえたようです!
保育園に通っているときの写真を見て思ったことは自分でご飯食べたりパンツあげたり椅子にすわったりいざったり出来てたんだな~
小さいときから皆の中に入れて育ててくれたから皆の中に一人でも入っていけるんだなと思いました。
まみ号は お父さんが板にタイヤをつけてくれてハンドルをつけてくれたものです!
七五三
着物を着せるのがとても大変だったようです。泣いてすぐ脱いだそうです。でも写真はよく撮れててよかった~写真を撮って残してくれたのでとてもうれしかったです。
町のお祭り
お祭りにも連れて行ってもらいました。いろんなところに連れて行ってお兄ちゃんと同じようにいろんなことを経験させてくれました。
お兄ちゃんのまね
お兄ちゃんのまねをしてみかんのネットをかぶったり 「旅に出ます」といざってまわってたそうです!お兄ちゃんといろんな遊びをしました。みんな笑いがたえなかったそうです!
小学校入学前の運動会
「まみにも運動会の招待状がきた」ととても嬉しかったようです。でもどうやって参加したらいいのか不安も大きかったようです。時間はかかるけどまってもらうことにして 自分の力で参加することを決めました。だから弟が生まれて1ヶ月たっていなかったけど運動会の前の日にお母さんが練習に連れて行ってくれたようです!9月27日午後の部の2番目 もうすぐ1年生に参加しました。みんなはあっというまにゴールしました。私も一歩一歩足を前に出しました。ゴールで校長先生がまっててくれました。私についていてくれた江田由佳里さんがそのときの様子を作文に書いてくれました。「まみちゃんのえがお」
小学1年生の時
みんなと一緒に入学できました。保育園の友達は一人もいなかったけどみんなが声をかけてくれました。洋式トイレとスロープが出来ていました。お母さんが毎日つれていくはずだったけどお兄ちゃんが車椅子を押して連れて行ってくれました。お母さんは仕事を減らし私に付く覚悟してたけど校長先生が「付かなくていいですよ」と言ってくれたからとても嬉しかったそうです。お兄ちゃんが車椅子をのせ変えたり、かばんから教科書とかを机の中に入れてくれました。帰りはお兄ちゃんを待っているときもあったけど友達に押してもらって帰りました。みんなと一緒に勉強しました。先生が一人私についてくれました。友達が歯磨きやいろんな事を助けてくれました。運動会では自分の力で参加しました。距離は短いけど いざり で一歩一歩進みました。みんなはあっという間においこして行きました。みんなが応援してくれました。とても嬉しかったです。お母さんやお父さんは写真取るはずだったけどレンズの向こうが涙で見れなかったようです。いろんな事をみんなと経験しました。字をかけなかったので習字教室に通わせてくれました。大きく書くことで字が書けるようになつたようです!
小学2年生の時
小学2年生になってプール教室にも通わせてくれました。1年生の時から行きたかったけど申し込む勇気がお母さんになかったようです。2年生になって思いきって教育委員会に相談にいつたようです。一人先生をつけてくれました。とても嬉しかったです。あと あらぐさ学級でかめをかっていました。夏休みにかめを家に持って帰ってかめと競争したこともあります!かめに負けてしまいました(><)2年生の運動会もいざりで出ました。みんなはあっという間においこしていったけど 応援してくれました。いろんなことを一緒にしました。ピアノ教室にも2年生から行きました。友達は1年生から近くのピアノ教室に行っていたので「私も行きたい」と言ったからです!見る 聴く 行動するが苦手だったのでお母さんはピアノで遊びながら出来るようにしたかったようです。がくふを読めないのでがくふにいろえんぴつでしるしをつけてくれました。そしてけんばんにも同じ色の色がみをはってくれました。初めての発表会はお母さんと連弾でどどどどーなつをひきました。倒れても手をつけなかったので2回あごの下を切りました。1回目は2針縫いました。けがもたえなかったようです!
小学3年生の時
1年2年の時はみんなのクラスで先生が一人ついてくれたけど3年生からは特別学級(あらぐさ学級)から時々みんなのところへ行って勉強しました。このころから いざりができなくなりました。また後ろにひっくり返って頭を切って3針縫いました。だから電動車いすをえみちゃんのおさがりをもらって乗りはじめました。電動車いすでどこでもいけるのでとても嬉しかったです!運動会は電動車いすで出ました。でもみんなはあっという間においこして行きました。ちょっと悔しかったです。電動車いすで友達の家にも遊びに行きました。一人で学校から帰れるようにもなりました。雨の日はかさがさしたくてお母さんに車椅子につけてもらったけどうまくいきませんでした。だからカッパを着ていきました。お母さんが車で送るといってもみんなと一緒に雨を感じたかったからです!白のカッパだったのでみんなが「てるてるぼうず」といいました。みんなのしているターザン遊びもまねしてしてみました。うまくいかないけど楽しかったです。雪の日も電動で行きました。タイヤのあとがついたのでとても嬉しかったです。雪の日 お母さんがついて送ってくれました。帰りはお兄ちゃんとわざと電動車いすのタイヤをすべらせて遊びながらかえったこともあります。
ちょっとつらかったのはやっぱりいざりが出来なくなったことと座るときバランスをくずしてたおれるようになったことです。